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大野一雄Kazuo Ohno

大野一雄

撮影:塚本博昭

1930年代より江口隆哉、宮操子に師事。戦争による中断を経て、1949年よりモダンダンス作品を発表する。50年代後半に土方巽と出会い、のちに「舞踏」と呼ばれる革新的な舞踊スタイルを共に創始した。1977年、スペイン舞踊家アントニア・メルセを讃えるソロ「ラ・アルヘンチーナ頌」を発表、高い評価を受けた。1980年73歳で初の海外公演を行い欧米の舞踊界に衝撃を与えた。横浜の大野一雄舞踏研究所では、世界中から多くの人材を受け入れ長年指導した。

基本情報

資料ID
PER2
生誕
1906年10月27日 函館
死没
2010年6月1日 横浜付近
国籍
日本

略歴

1906年函館に生まれる。体育教師として教鞭をとる傍ら、石井漠、江口隆哉よりモダン・ダンスを学ぶ。兵役による9年間の中断の後、1949年に第1回リサイタル。60年代には、土方巽との共演を行いながら、独自の表現を模索。1977年、青年時代に出会ったスペイン舞踊の舞姫をたたえる独舞踏「ラ・アルヘンチーナ頌」を発表し、高い評価を受けた。1980年、第14回ナンシー国際演劇祭で海外デビューを果たし、世界の舞踊界に衝撃を与える。以後、世界各地で公演を行い、「Butoh」を世界的に知らしめた。2001年に歩行が困難となってからも情熱は衰えず、座ったまま手の動きで踊る新たな境地をひらいた。代表作に「わたしのお母さん」「死海」「睡蓮」など。2010年没。

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1906年 10月27日、北海道函館に生まれる
1929年 帝国劇場にてスペイン舞踊の舞姫、ラ・アルヘンティーナの来日公演を観る
1938-45年 召集を受け、陸軍少尉、のち大尉として華北、ニューギニアで従軍
ソロンにて終戦を迎え、マノクワリで一年間捕虜となる
1949年 大野一雄舞踊研究所を開設。大野一雄現代舞踊第一回公演(東京、神田共立講堂)
1959年 大野一雄モダンダンス公演(東京、第一生命ホール)。土方巽が舞台監督を務める
1960年 土方巽DANCE EXPERIENCEの会に出演。ディヴィーヌ役、マルドロール役を務める(東京、第一生命ホール)
1965年 暗黒舞踏派提携公演「バラ色ダンス」で土方巽とただ一度のデュオを踊る(東京、千日谷会堂)
1967年 捜真女学校を定年退職し、嘱託として営繕職に就く
1969年 映画作家長野千秋と舞踏映画「O氏の肖像」製作
1971年 長野千秋と舞踏映画「O氏の曼荼羅 遊行夢華」製作
1973年 長野千秋と舞踏映画「O氏の死者の書」を3年かけて製作
1977年 「ラ・アルヘンチーナ頌」初演。演出は土方巽(東京、第一生命ホール)
1980年 捜真女学校を退職。第14回ナンシー国際演劇祭に招待され、初の海外公演を果たす
1983年 イタリア、イスラエルを巡演。死海を訪れる
1985年 「死海 ウインナーワルツと幽霊」初演。土方巽演出、大野慶人共演(東京、有楽町朝日ホール)
1987年 シュツットガルト世界演劇祭にて「睡蓮」初演。大野慶人演出、共演。
1990年 イタリアのクレモナにて「花鳥風月」初演
国内外で精力的に公演を行う
1998年 国際演劇協会(ITI)のメッセンジャー・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。第47回横浜文化賞受賞
1999年 ニューヨークにて「20世紀への鎮魂」。最後の海外公演
2001年 東京国際舞台芸術祭で「花」公演(東京、新宿パークタワーホール)。第3回織部賞グランプリ受賞
2002年 イタリアのボローニャ大学に大野一雄資料室が開設
2003年 函館・金森ホールにて「我が母の教え給いし歌」
2004年 横浜・BankART1929にてKazuo Ohno Festival。以後、毎年開催される
2006年 各国で大野一雄の100歳を祝う催しが開催される
2007年 神奈川県立青少年センターにて百歳を祝うガラ公演「百花繚乱」
2010年 6月1日16時38分永眠

CC-BY(ご自由にお使いいただけますが、ご使用の際にはダンスアーカイヴ構想までご一報をいただければ幸いです。略歴テキストは約300文字です。info@dance-archive.net)

受賞歴

第47回横浜文化賞(1998)

第1回ミケランジェロ・アントニオーニ芸術賞(1999)

第3回織部賞グランプリ(2001)

第1回朝日舞台芸術賞特別賞(2002)

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